南相馬から航空業界、そして淡路島へ|妻とか、母とか、娘とか、女とか。#1

podcast

ゲストハウスやメディアの運営を通して、福島の魅力を伝えるローカルエディター、佐藤美郷さん。番組の第1回は、「妻」や「母」になる前の美郷さんの物語です。

南相馬で育ち、音楽の道をあきらめ、航空会社のグランドスタッフに。そこで迎えた東日本大震災で、大嫌いだった地元に「なくなってほしくない」と初めて思います。そこから地域の仕事に目を向け、たどり着いたのは淡路島。行動力だけで生きてきたという20代の始まりを語ります。

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この回の話題

時間話題
00:56はじめまして。佐藤美郷です
01:47tetteでの出会い、「ただ者じゃない」第一印象
03:33南相馬市小高で育った18年
04:06東京の大学でスペイン語と英語を
04:29航空会社のグランドスタッフに
05:22本気だった吹奏楽と、あきらめた音大
07:55入社2年目の3.11
09:26空港の混乱と、「私の家族はあそこに住んでいる」
12:05すぐに帰りたい、でも帰れない
13:55大嫌いだった地元を「なくしたくない」
15:19選択肢がない、田舎の現実
16:59地域活性へ。たまたまの淡路島
17:45「半農半X」のXは「芸」
21:25自転車で通えたカフェ「ナフシャ」

「ただ者じゃない」と思った出会い

美郷さんは、ライターやエディターとして文章を書き、ゲストハウスを運営しながら須賀川市で暮らしています(収録時、ゲストハウスはお休み中)。普段から音声配信をよく聴いていて、自分もチャレンジしてみようと始めたのがこの番組です。

GALATA COFFEEのふたりが美郷さんと初めて会ったのは、須賀川市民交流センター「tette」で珈琲を出していたとき。第一印象は「ただ者じゃない」「福島の人じゃなさそう」。以来、美郷さんの文章やXの投稿のファンだというふたりは、「福島でどんな生き方をしてきたら今の美郷さんになるのか」に興味津々です。

南相馬で育ち、音楽をあきらめた

美郷さんの出身は、福島県の浜通りにある南相馬市。平成の大合併で南相馬市になる前の、旧小高町で生まれ、18歳まで育ちました。

高校までは「ガチで」音楽をやっていたそうです。中学校の吹奏楽部は、のちに全国大会の常連校になる強豪校。音楽大学を目指し、高校時代には早朝と夕方にアルバイトをして仙台へレッスンに通い、ピアノや声楽、ソルフェージュも独学で続けました。

それでも、音大はお金がかかり、入るまでも大変。「田舎だから叶えさせてもらえなかった」という思いもあり、途中であきらめます。この経験が、今の活動にもつながっているといいます。

スペイン語を学び、空港で働く

音楽をあきらめ、受験勉強もしていなかった美郷さんは、指定校推薦で東京の私立大学へ。音楽をやっていたので本当はイタリア語を学びたかったけれど、その大学にはなかったので、似ているスペイン語を専攻にしました。

ここで音楽で鍛えた耳が活きます。大学では「さすがに勉強しないと」と心を入れ替え、英語も生活できるくらいまで伸ばしました。

英語と、アルバイトで好きになった接客。その掛け合わせから「航空業界かな」と挑戦し、日系航空会社のグランドスタッフに。荷物を預かり、チェックインや座席の用意、搭乗案内をする地上職員が、最初のキャリアでした。実際に英語を使う職場で、語学はさらに伸びていきます。

空港で迎えた3.11

入社2年目に、東日本大震災が起こります。南相馬の実家は、福島第一原発からギリギリ20km圏内。家族は全員無事でしたが、そのまま県外に避難し、今も県外で暮らしています。

その日美郷さんは仕事が休みで、東京・吉祥寺にいました。電車が止まり知人の家に泊めてもらい、翌朝ニュースを見ると、故郷が大変なことになっていました。テレビに映る津波の先に家族がいるかもしれないのに、離れていて何もできない。たまたまつながった携帯電話で弟と連絡が取れ、ようやく家族の無事を確認できたそうです。

「私の家族は、あそこに住んでいるんです」

空港も大混乱でした。海外の航空会社の担当だった美郷さんのもとには、今すぐ日本を出たい外国の人たちが押し寄せます。「お金はいくらでも積むから席を用意しろ」と詰め寄られる場面もあったといいます。

カウンターで若い男性に「早くしろ、こんなところにいられない」と詰められたとき、いっぱいいっぱいになった美郷さんは「私の家族はあそこに住んでいるんです」と口にしたそうです。分かっているのに何もできない。そのころの心は「本当にやばかった」と振り返ります。

すぐにでも帰ってそばにいたかったけれど、父には「来てもできることはないから、そこで自分にできることをしなさい」と言われ、仕事を続けました。その後の原発事故も含め、当時のことは今も「本当のところは整理できていないことが多い」といいます。

大嫌いだった地元を、なくしたくない

実は美郷さん、地元が「すっごい嫌い」だったそうです。高校で人生が決まり、地元に残る選択肢はそもそもない。都会に出て「地元が好き」という人に初めて会い、うらやましいと感じたほどです。

その地元がなくなるかもしれないと思った瞬間、初めて「なくなってほしくない」という気持ちが芽生えました。ただ、すぐに地元に戻るにはスキルも経験もない。そこで「勉強しなきゃ」と、地域活性化に目を向けるようになります。

たまたまの淡路島、「半農半芸」の1年

地域創生や地域おこし協力隊という言葉が広がり始めたころ。美郷さんがたまたま見つけたのが、兵庫県・淡路島で地域活性化に取り組む人の募集でした。未経験可。テーマは、半分は農業、もう半分は何かで生計を立てる「半農半X」。

そのプロジェクトの「X」は「芸」、つまり芸術でした。音楽をあきらめ、大学と就職で吹っ切れたつもりだった美郷さんの心に、それが引っかかります。関西には縁もゆかりもなかったけれど、「淡路島もどこか知らんけど行ってみよう」。1年間の淡路島暮らしが始まりました。

同じプロジェクトには、年間140人ほどが参加。ダンサーや女優の卵など、本格的に芸術に取り組む人もいました。美郷さんは「芸術で地域を元気にする道筋を見つけたい」と、ものをつくる人やクリエイターについて回り、その考え方を濃密に見させてもらったといいます。「大変な人たちばかりだった」と笑いながら。

自転車で通えたカフェ「ナフシャ」

プロジェクトの合間にはアルバイトもOK。電車もなく、運転免許もなかった美郷さんが自転車で通えたのが、「アート&カフェ ナフシャ」でした。関西でも取り上げられる、知る人ぞ知るカフェ(現在は閉店)。大きな恐竜や宇宙船のような作品をつくる淡路島出身の現代美術家と、料理を担う奥さんの、アーティスト夫婦が営むお店です。

美郷さんはここで半年ほど働きました。そしてのちに、須賀川で開いた自分のゲストハウスにも「Nafsha」と名づけます。それほど大きな存在だったナフシャとの話は、次の回に続きます。

行動力だけで生きた20代

大学も、航空会社も、淡路島も。人生の選択を意外と「短絡的な理由」で選んできたという美郷さん。「これやろう、だめだったら次、という感じで、行動力だけで生きてきた」。20代の美郷さんの素直さに、聞き手のふたりもおもしろがります。

印象に残った一言

すっごい嫌いだった地元でも、なくなるって思った瞬間に、なくなってほしくないかもって。

出演者

  • 佐藤美郷:南相馬市出身の編集者・ライター。航空会社のグランドスタッフ、淡路島での半農半芸の暮らしを経て独立。メディア「ff_私たちの交換日記」とゲストハウス「guesthouse Nafsha」を運営するローカルエディター
  • はな & 隆志:移動販売の珈琲屋「GALATA COFFEE」を夫婦で営む。ウルトラFM「サンライズすかがわ」月曜パーソナリティ