ナフシャとの出会いからデンマーク留学、結婚と福島移住まで|妻とか、母とか、娘とか、女とか。#2

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須賀川市にある美郷さんのゲストハウス「guesthouse Nafsha」。その名前は、淡路島で働いた一軒のカフェから受け継いだものでした。

前回の続きで、価値観を変えられたカフェ「ナフシャ」での日々、名前を受け継ぐまでの物語、「全部やってみて、残った」ライターという仕事、そして結婚、デンマークでの学びを経て須賀川に移り住むまで。一見ばらばらに見える道のりが、すべてつながっていく回です。

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この回の話題

時間話題
00:56前回の続き。自転車で通えたカフェ「ナフシャ」
02:48動物占いで採用されたアルバイト第1号
04:05スピリチュアルな人たちと、変わった価値観
05:12「ええ感じでお願いします」の先生
05:45先生が倒れ、届いた一通の手紙
06:46須賀川のゲストハウスに「ナフシャ」の名前を
07:20神戸から淡路、そして福島へ。旅するナフシャ
09:51作る側の気持ちが知りたくて、全部やってみた
10:57衣食住を学ぶ。ヨガ、マクロビオティック
12:15残ったのがライターだった
12:44福島に戻るための「修行」
14:24夫・あきちゃんとの出会い
16:09いい家が見つかって、仕事を辞めて須賀川へ
16:54デンマークのフォルケホイスコーレ
19:46情報を集める力はどこから
22:56須賀川での今と、これから

カフェ「ナフシャ」で変わった価値観

淡路島の「アート&カフェ ナフシャ」は、アーティストのご夫婦が営むカフェ。美郷さんはそのアルバイト第1号でした。

面接に来た奥さんは、経歴をさらっと聞いたあと、生年月日を尋ねて「黒ヒョウね」。動物占いで、その場で採用が決まったそうです。田舎から航空業界というきっちりした世界で生きてきた美郷さんには、「そんなことで人を採用するんだ!」と、すべてが初めての体験でした。

ナフシャを一言で表すと、「めちゃめちゃスピリチュアル」。アメリカ先住民の方が演奏に訪れたり、『地球の上に生きる』の著者でヒッピー文化の代表格ともいえるアリシア・ベイ・ローレルさんが、来日ツアーで必ず立ち寄ったり。精神的なものを大切にする人たちが集まる場所でした。

「ええ感じでお願いします」

美郷さんが「先生」と呼んでいた旦那さんは、何かをきちんと教えてくれることはほとんどなかったそうです。「これはどう出したらいいですか」と聞くと、「なんかええ感じでお願いします」。

それを無理だと感じる人もいるでしょう。でも美郷さんは、それが素晴らしいと思えた。ふたりのつくる作品や空間に、その考え方がすべて現れていたからです。「こう生きなきゃいけない、なんてないんだ」「こうやって物事を見ていいんだ」。何も知らなかったぶん、真っさらな状態でたくさんのものを吸収したといいます。

「ナフシャを、あなたたちに委ねます」

あるとき、先生が心臓の病気で倒れ、生死の境をさまよいます。お店を続けられなくなったとき、数人に増えていたアルバイトに届いたのが、「ナフシャをあなたたちに委ねます」という長い手紙でした。

いつか福島に帰って、こういう場づくりをしたい。そう思い始めていた美郷さんは、大いに悩みます。それでも、自分はまだ未熟で準備が間に合っていない。プロジェクトの任期も終わり、淡路島を去る決断をしました。

須賀川で、名前をもらう

そのことはずっと心に残っていました。年月がたち、須賀川でゲストハウスを始めることになったとき、ナフシャはすでに閉店し、先生も亡くなっていました。美郷さんは奥さんに「名前を譲り受けてもいいですか」と尋ね、「いいよ」と答えてもらいます。こうして生まれたのが、今の「guesthouse Nafsha」です。

旅するナフシャ

実は淡路島のナフシャ自体も、先生が家具などをつくっていた神戸のコミュニティから受け継いだ名前でした。神戸から淡路島へ、そして福島へ。

「私もそういう、旅するナフシャがあってもいいと思った」。高校生のとき、固定観念に縛られた周りに音楽の道を反対された美郷さんにとって、ナフシャでもらった「こんな生き方もあっていいんだよ」というメッセージを、どうしても福島で伝えたかったのです。「自由でいいんだよって言ってくれる人がいたら、違ったかもしれない」。

後日談もあります。奥さんもその後、島でゲストハウスを始め、「ナフシャ」の入った名前をつけたそう。「名前あげちゃったけど、私も使っちゃった、ごめんね」と電話がかかってきたと笑います。

つくる側になりたくて、全部やってみた

「たった1年では何もできない」。淡路島を去った美郷さんが思ったのは、つくる側の気持ちを分かりたいということでした。それまではアシスタントやプロデューサーのような手伝いばかり。そこから、ゼロから何かを生み出すことを、手当たり次第に試していきます。

生活は、そのとき一番高く売れる「英語」で立てる。英文事務や貿易事務できっちり働きながら、空いた時間で自分のチャレンジを続けました。

衣食住を自分の手に

淡路島時代にたどり着いた結論は、「究極、信じられるのは自分の体と感性だけ」。そこで、衣食住に関わることを一つずつ学び始めます。

  • 体:ヨガを学び、資格を取る
  • 食:食事療法のマクロビオティックを学び、少しずつ実践。まだ「怪しい」と思われていた時代でしたが、ナフシャで固定観念が外れていたので、素直に受け入れられたといいます
  • 衣:のちにデンマークで手芸を学ぶ
  • 住:ナフシャのプロジェクトでリノベーションを経験

「全部つながっているんです」と美郷さん。

残ったのが、ライターだった

いろいろ試した中で、最後まで残ったのが文章を書くことでした。エシカルやサステナブルを伝える媒体で、最初は無償のボランティアから。「全部消去法。一回やってみたら、無理なものは分かる」と笑います。

そのあいだも、いつか福島に戻るという思いは一貫していました。「今のまま戻っても何もできないから、修行しておこう」。転職の回数だけを見ると「何をしてきた人?」と思われがちだけれど、すべてはその目標につながる道だったのです。「仕事を手段だと考えたら、何だっていい。いろんなことに挑戦した方が、スキルも視野も広がる」。

あきちゃん(旦那様)との出会い

山形、大阪と移り住んだ末にたどり着いた東京で、27歳ごろに出会ったのが、夫のあきちゃんです。震災後の復興支援が東京でも盛んだったころ。学生団体をつくって復興に関わるあきちゃんと、別のルートで手伝いに行った美郷さんは、そこで知り合いました。

あきちゃんは須賀川の出身。地元が大嫌いだった美郷さんとは正反対で、須賀川が大好きで、いつか須賀川に恩返ししたいと思って生きてきた人でした。「福島に戻る」という思いが重なり、福島ならどこでもよかった美郷さんは、一緒に須賀川へ戻ることにします。

東京でふたりで過ごしたのは3年ほど。ゲストハウスをやりたいと決め、福島に帰っては物件を見て回っていたとき、たまたまいい家が見つかります。ふたりとも仕事を辞めて移住。「私は辞めることのハードルがめっちゃ低いから」。

デンマークの「大人の学校」

移住の前、結婚してから半年ほどデンマークで学びました。本当は1年行きたかったけれど、予算の都合で半年に凝縮。「北欧は高い」イメージとは逆に、安く学べるのが北欧だったそうです。

通ったのは、「フォルケホイスコーレ」と呼ばれる大人のための学校。学べる分野は学校ごとにさまざまで、美郷さんは手芸の学校を選びました。生徒は20歳ごろの大学生から50代、60代まで。北欧の学びの柔軟さを体感する経験でした。

ただし、「英語ができれば大丈夫」と書かれていたのに、授業はほとんどデンマーク語。しかも手芸は「めちゃくちゃ向いていなかった」。織物も編み物も計算ばかりで、気の長い人にしかできないと分かったと、笑いながら振り返ります。それもまた、「やってみたから分かった」ことです。

そして須賀川へ

須賀川に移り住んだのは、コロナ禍が始まる直前。ゲストハウスを開き、いろいろなことに取り組んできた美郷さんですが、2025年にお子さんが生まれ、今はゲストハウスをお休みして子育て中。ゲストハウスのこと、子育てのことは、次の回以降に続きます。

印象に残った一言

自由でいいんだよって言ってくれる人がいたら、違ったかもしれない。

出演者

  • 佐藤美郷:南相馬市出身の編集者・ライター。メディア「ff_私たちの交換日記」とゲストハウス「guesthouse Nafsha」を運営するローカルエディター
  • はな & 隆志:移動販売の珈琲屋「GALATA COFFEE」を夫婦で営む。ウルトラFM「サンライズすかがわ」月曜パーソナリティ