茶室を完成させたあと、松本さんは大阪へ、そして千葉の山あいへと移り住みます。外国人ばかりのシェアハウスで英語に囲まれた建築事務所時代。クライアントのいる仕事で知った、思想を入れられない現実。そして、ずっと興味のあった自給自足を確かめに向かった、ほぼ限界集落での暮らし。虫やカエルを食べる同居人、面倒見のいい絵の師匠との出会いを経て、ポセミンに初めて「物語」が生まれます。
この回の話題
| 時間 | 話題 |
|---|---|
| 00:18 | 前回のふり返り。「腐らせて循環させる」思想は、まだ建築の中に |
| 01:29 | 「縄文人のような」先生に誘われ、大阪の事務所へ |
| 02:06 | 事務所のアパートは、日本人は自分だけのシェアハウス |
| 04:11 | 仕事も家も英語。楽しいけれど、知らないうちにストレスが |
| 06:15 | 担当は飲食店の内装。原寸大のモックアップをつくる |
| 08:52 | 初めてのクライアント。思想を入れられない現実 |
| 10:36 | 事務所に入る前から、次の行き先は決めていた |
| 11:07 | 次は千葉へ。自給自足をやってみたかった |
| 12:36 | ほぼ限界集落で、5人のシェア暮らし |
| 13:43 | みんなで何でも屋。草刈り、電気柵、田畑の手伝い |
| 15:28 | 「都心から一番近い田舎」 |
| 16:07 | 虫やカエルを食べる同居人たち |
| 19:29 | 期間を決めずに始めた田舎暮らし |
| 20:41 | 面倒見のいい絵の師匠に教わったこと |
| 22:07 | 教科書を開きながら、独学で建築の仕事も |
| 23:31 | ポセミンに物語が生まれた |
| 24:10 | 黄色い絵本の原型は千葉で |
日本人は自分だけ。大阪のシェアハウス
前回の話で出てきた「腐らせて循環させる」という思想。ただ、茶室をつくったころの松本さんは、まだ建築を続けるつもりでした。「建築じゃなくても表現できる」と気づくのは、もう少し先の話です。
茶室のあと、大学時代の「縄文人のような」先生から「うちの事務所でプロジェクトをやらないか」と声がかかり、松本さんは大阪へ移住します。
住まいは、事務所が持っているアパート。所員が住む、社宅のようなシェアハウスで、家賃はかかりませんでした(食費は自分たち持ち)。ただ、住んでいたのは松本さん以外みんな外国の人。インドから2人、南アフリカ共和国、イタリア、そしてもう1人アフリカの国から。4、5人で暮らし、部屋がいっぱいだったので、インド人の女の子と同じ部屋になりました。みんな、あの先生に憧れて世界各地から集まった所員やインターンでした。
楽しいけれど、日本語が話したい
事務所でもシェアハウスでも、共通語は英語。翻訳アプリを使いながら、一生懸命コミュニケーションをとる毎日です。「みんないい人で、楽しかったんですけど」。仕事から帰ってほっとするはずの家でも気が抜けず、知らないうちにストレスがたまっていたそうです。数か月ほどで、知り合いの日本人のシェアハウスに移りました。
そのあとも住まいはシェアハウスが中心。お金がほとんどなかった松本さんに、「お金はいらないから住んでいいよ」と言ってくれる人たちがいたそうです。
原寸大でつくって考える
事務所で松本さんが担当したのは、主に飲食店の内装。居酒屋の天井に吊るす装飾をデザインし、設計しました。
特徴的なのが、その進め方です。小さな模型ではなく、実際のサイズのモックアップを事務所で自分でつくって検討する。この厚みがいいか、この組み合わせ方にしようか。原寸で見ると考えが進むからです。最初は段ボール、途中からは本物の木で。吊るせないときは、同居のインド人の女の子に持ってもらって確かめたそうです。
ほかの所員は家や大きな施設など、規模の大きいプロジェクトを担当していました。店舗の内装くらいの規模だったからこそ、実際につくって試すことができたのかもしれません。
初めての「クライアント」
では、その内装に「腐らせて循環させる」思想は込められたのか。答えは「全然入れられなかった」。
ビエンナーレの茶室はアートの要素が強く、自分たちの表現ができました。でも今回は、初めてクライアントがいる仕事。要望があり、予算がある。その中では自分の思想をまったく組み込めず、「難しいな」と感じたといいます。建築の現実に触れた経験でした。
千葉の山あいで、何でも屋になる
大阪の事務所にいたのは半年から1年弱。実は入る前から「この期間だけ働けます」と伝えていて、次の行き先も決まっていました。それが千葉県です。
自然のサイクルとのつながりをずっと意識してきた松本さん。でも、畑も田んぼもやったことがない。大学の周りは田んぼだらけでも、それは「風景としての田んぼ」でした。
「循環」を語りながら、自分はそういう暮らしをしたことがない。そのことが、ずっと引っかかっていたそうです(下の「印象に残った一言」も)。
そこで、ずっと興味のあった自給自足ができる場所を、絵の師匠につないでもらいました。鴨川駅からバスで30分ほど山の方へ入った、ほぼ限界集落のような地域。棚田があり、「都心から一番近い田舎」を掲げている場所だそうです。そこで初めて、畑を教えてもらいました。
5人暮らしで、何でも屋
住まいは、またもやシェアハウス。大学を卒業したばかりの同世代と、少し年上の人の5人で1軒の家に住み、みんなで「何でも屋さん」をして現金収入を得ていました。
- 家の掃除
- 草刈り
- 畑や田んぼの手伝い
- イノシシなどから畑を守る電気柵の付け替え
- 忙しいシーズンの観光施設の屋台の助っ人
仕事は口コミや、カフェで知り合った人から頼まれることも。地域には何軒かカフェがあり、自転車をこいで通っていたそうです。
カエルは鶏肉みたい
同居人は個性的なメンバーばかり。数学を学んでいる人、畑に興味があって来た女の子、そして虫やヘビなどを食べる2人。ただ食べるだけでなく、調理の知識もしっかりある人たちです。
シェアハウスにはごはん当番があるので、松本さんもカエルやカメを食べました。カエルは鶏肉のような味で、肉は少なめ。カメは硬かったそうです。冷蔵庫の上には、食べられるように下処理中のヘビが入ったペットボトルがずらり。苦手な人には厳しそうな光景ですが、松本さんは「面白いなって感じ」だったといいます。コオロギ食などが話題になる今、「最先端を見てきたのかも」という話に。
この田舎暮らしは、期間を決めずに始めたもの。「田舎の生活が体験できる」という気持ちだけで飛び込んだそうです。
ポセミンに「物語」が生まれた
田舎の暮らしは時間がたっぷりあり、松本さんはポセミンを描き続けました。そして千葉で、ポセミンに初めて物語が生まれます。
それまでのポセミンは、基本的に絵だけ。キャラクターそれぞれに性格のようなものはあったものの、千葉でそれが濃くなり、お話になり始めました。このとき生まれた「ポセミンとエンジョンの出会い」の物語が、今売っている黄色い絵本の原型です。ストーリーはほぼ同じ。当時は漫画の形で描いていて、以前はそちらも販売していたそうです(今は印刷していません)。当時のお話は、Instagramをさかのぼると見られます。
面倒見のいい、絵の師匠
千葉には、絵の師匠が住んでいました。それまで松本さんは、ペラペラの紙に描いていただけ。師匠は「それじゃダメだ」と、キャンバスに紙を貼るやり方から教えてくれました。「ペラペラの紙に描いて保管しているだけじゃ、作品に失礼だ」。作品を大事に扱うことを教わったそうです。
ギャラリーでの取り扱いを決める交渉の場に、「勉強になるから」と連れて行ってくれたことも。東京にも同行して、絵の世界のことをたくさん学んだそうです。
教科書を開きながら、建築も
千葉では建築事務所には属していませんでしたが、建築とは関わっていたい。仕事があれば引き受け、大学の教科書を開きながら「こうだっけ?」と図面を描いて送っていたそうです。「あれ、本当に大丈夫だったのかな」と笑います。
自給自足の暮らしとポセミンが、この先どうなっていくのか。続きは次回です。
印象に残った一言
頭の中だけで想像して、循環、循環と言ってるけど、中身が伴ってない。それは自分ですごく良くないなと思っていました。
出演者

- 松本悠以:アーティスト、作家、畑の仕事をする人。「循環」「腐る喜び」をテーマに、ポセミンが登場する作品をつくる。Instagram
- はな & 隆志:移動販売の珈琲屋「GALATA COFFEE」を夫婦で営む。ウルトラFM「サンライズすかがわ」月曜パーソナリティ
